「デパ地下」
正式かどうかは不明だけれど、「デパートの地下にある食品売り場」のことを短縮して言っているのだろう。
この「デパ地下」が素晴らしいのだ。
独身の人や単身赴任の人などがある都市での生活をしている場合に
気晴らしに、寂しさをまぎらわすとかするひとつの場所ー自分の世界と違う世界ーが夕刻の時間に展開
されていることを認識できるひとつのきっかけを得ることができるかもしれない。
デパ地下は乗り換え分岐点の駅にあるのが殆どだ
男性の方で、今夜の食事を調達するにはどうしようか。外食するにもあきてきたし。
毎日のことなので結構たいくつになってきてはいないだろうか。
でもお腹はすいてくる。
人は生きていくために食事をしなければならない。
形態はどうであれ自分の体の中に生きるためのエネルギーとなるものを取り込まねばならない。
ある程度の時間が過ぎるとお腹がすいてきて食事をしたくなってくる。
このような欲求が起きるのは健康体であるからしてごく当然なことだと思う。
食べたいものはその時々で違ってくるだろう。
体調に合わせた栄養のあるものを食べたいと思うこともあるだろう。
とにかくこれを食べておきたいと強烈な思いがあるのかもしれない。
いつも食べているものを。気に入ったものを食べ続けたいと思うだろう。
デパ地下はいろんなものを販売している
「デパ地下」に行くと、いろんな食べ物を作成・販売されている。
食べる場所は提供されていないので、買い物をするだけになっている。
特に食事をするのに必要なものを提供するようになっていると感じられる。
その販売されているものの殆どが私達の飲食に関係するものがより多く販売されているのは
間違いないだろう。必要なものがある場合、「デパ地下」で調達できない場合は、
デパートであるから、階上にいけば必要な物は日常の殆どのものは揃えることができる。
少し割高のような印象はあるけれど。
店員さんの対応が素晴らしい時とそうでない時
社会人になりたての頃には、自分が考えていることを他人に伝えることが困難な時期があった。
自分勝手に苦手意識という壁をつくっていたようである。
そんな若者でも「デパ地下」で活躍されている店員さんにかかると簡単に解決してしまう。
自分の欲しいものは何か、こんなものがあるよ。とかいろいろな質問を交えての商品の紹介方法がすごい。
そのお陰で、店員さんと会話の中で段々と自分の言いたい事(欲しいもの)がどんなものかをより具体的に伝えることができるようになっていった。
ほとんどの場合、店員さんは女性の方だ。人生経験豊富な方が多い。
あまりタジタジしていると欲しくないものまで購入してしまう場合がある。
そうなのだ。ぼやぼやしているとついつい買わされてしまうのだ。
いつのまにか。
自分から見た風景というものの中に自分の姿は現れない。
自分がどんな表情や姿で店員さんと話をしているかとかは自分には見えていない。
自分から見えるのは白い頭巾をまとった店員さんが積極的に売りたい商品を薦めてくれている姿であり、それに対応している自分の目に見えない姿を見ている。
この状況において、自分はどのような対応をしたらよいのであろう。
自分がさがしものをしている時に、うるさくつきまとってくる店員さんに対しては(心の中で)無視をすること。
尋ねても、代替え案を薦めてくれる場合がある。が、本当にその場所にないものか。
親身になってこちらが探しているものを探そうとしている。
このあたりは売り場それぞれの特長や店員さんによるところがあるだろう。
自分の好きなように振る舞えるのがいい
なので、自分の思いをかならず主張するべきだ。自分の思いが伝わらなくてもいい。
こういうものが欲しいとか、こういうものを食べたいとかを言葉にして言うのである。
伝わらなかったら言葉を換えて言ってみる。
例え伝わらなかったとしても怒ることは無いのだ。
相手が理解できない言葉を使っているのだから。
このような会話を楽しむ=買い物を楽しむ。ように考えてみると、案外店員さんとのやりとりがおもしろいものになってくる。
人づきあいが苦手な人は、こんな「デパ地下」に身をおいてみるのもいいだろう。
デパ地下には自分だけの宝物が落ちている!これなら毎度楽しみだよなーまとめ
日頃はあまり立ち寄ることのない場所に立ち、あまり話すことのない人々と話をすること。
慣れてしまえばごく当たり前のことだろうけれど。 そこまでなるのには時間がかかる。
そのために実際に自分の足でその場所に立ってみるしか方法はないのである。
以外に簡単に別の世界を体験することができるのだ。
少しの勇気と時間を割いて「デパ地下」に行ってみるのもいい。