何かについての文章を書こうとする。
まず最初に文章を書こうとすることから入るとどういう訳か書けなくなってしまう。これは私が経験し気がついた最も重要なことではないかと思っている。
なぜか。それは、簡単にいうならば、文章は自分の思いを言葉にしたものを、相手に対して見せれるように変換したものだからだ。
何を伝えたいのか
伝えたい相手が目の前にいれば、言葉なんて要らない。自分の思いを相手に身振り手振りで、目で訴えることをすれば何とか伝わるはずだ。いや、伝わってしまう。
その証拠に、日本語の分からない話せない外国人が日本に来ていろんなことの質問をしてくることがある。観光地だったり旅館だったりお寺さんだったりするわけだ。
この日本語のわからない外国人に対して日本人はなんとか理解して相手の望んでいることを理解しようと一生懸命になる。外国人はそれこそ身振り手振りで感情を交えながら話をしてくれるが言葉が通じない。
だから、身振り手振りで説明をする。その説明を何とか理解しようとする。1人二人と日本人が集まってきて皆がいろいろと言い出すことになる。一人一人の感性が違うので当たらずとも遠からずの答えをだしてくる。
それを見ていた外国人は自分の知りたい情報に近いものをその人々の中から見出してその人から答えを聞き出そうとする。
対話がはじまる
こうして話題の近づいた者通しの身振り手振りの対話が始まる。何回かやりとりをやっているうちに、あらかたの目星がつくようになる。そうなると、一度その外国人の希望するところに連れて行けば、探しているものかどうかがわかるだろうと言うことで連れていく。
連れて行かれた外国人は現場をみて、自分の思いどおりだったら喜んでお礼を言うだろうし、思い通りで無かったら、それとは違う。自分が望んでいるのはこういうところだと、希望する所との違いを身振り手振りで説明する。
そうすると、その説明を受けた日本人はその中の候補となるものを選んで順番にその現場に連れていくことになる。
このような状態になってくると、もう外国人が訪れたい所との違いが無くなってきて、ついにはそのもの。望んでいるところが見つかるという流れがおきることだ。
どのように表現するか
これは、身振り手振りでも通じるものの存在というか可能性を説明したものであるが、そうで無い場合がある。自分の感情を伝える場合である。感情を身振り手振りで相手に伝えるのは困難だ。なぜなら、人は誰1人として同じ感情を持たないからだ。自分ひとりでも自分がもつ感情の違いに疑問をもつ時の違和感というものを感じるときがある。
感情を伝えるには、その人が暮らしてきた環境で培われた感情を理解する必要がある。そのような状況をその人その人ごとに理解するには難しいことだろう。
そこで共通の意味を持つ言葉が必要になる。この共通の言葉をつかい感情を伝えるようにすれば完全でなくても伝えるようになるということだ。お互いが完全な理解をするには、やはり話し合いが必要である。
話し合いをすることでお互いが納得したとしよう。その時はお互いの理解は成立したと言える。しかし、時が立つにつれてお互いの理解にずれが生じてくるはずだ。自分達の都合のよいように理解を変えてしまうからだと思う。それに記憶に頼っている為に記憶違いというものがでてくる。
何を伝えたかったのか
このことを無くすには、言葉で表現した文章を書いて残した文書が必要になる。お互いの話し合いで合意したことを文書にまとめて書いておくことでお互いが納得した証拠のサインをしておけば記憶違いとかの発生もおきないはずである。
まとめ
いかがでしたか。
文章で何かを伝えたいときは、全体の流れを伝えてから詳細なことに入っていくと分かりやすいですね。
道案内を例にとると、あの場所に行きたいけどどう行けばいい。から始まりますね。まずは、大きな目印をいくつか教える。次に大きな目印までいくにはどうする。注意点はなに。と詳細を伝えます。この方法だと道案内は伝わりやすいと思います。
文章でも、行きたい場所(題材(タイトル))からはじまり、次に大きな目印(見出し)をつけて、そして、目印(見出し)ごとの案内(本文)を知らせます。
このように分けて段階的にアプローチをかけると文章作成もやりやすいのではないでしょうか。
上手な道案内は、何回も説明をしていたからできた訳です。文章も何回も練習することで上手になっていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。